日本


アメリカにおける大規模小売店の郊外出店による都市問題と対応の現状

日本の危機を打開するために


 

株式会社 都市構造研究センター 代表取締役

宮城大学事業構想学部講師(非常勤)・博士(学術)/南部繁樹

戦後、我が国は多くのことをアメリカに学び、アメリカ=世界との認識を強く持たされてきたと実感する。

しかし、今日アメリカは非常に多様な社会問題を抱えていることを多くの国民は身近に知り得るところとなっている。

本稿は、とくに戦後においてアメリカ同様に都市拡大、都市の郊外化を図ってきた我が国において直面する実態を「スラムダンキング ウォルマート―まちを守る戦術・アメリカの郊外化開発実例に学ぶ」(著:アル・ノーマン、訳:南部繁樹)の記述内容等を基に、アメリカの現状を通して正しく理解することを主眼にまとめたものである。

  • 都市とは、集住(City)と施設機能(Urban)の一体化 都市計画の必要性

F・クーランジュ(仏)は、「古代都市」(1864)で、Civitas (City)とUrbs (Urban)の関係を述べている。それは「Civitasを構成するのには長い年月を要したのに対し、一旦それが形成されるとUrbsは一挙に建設された」との指摘である。Civitasとはコミュニティであり、人々が協同し合い生活している集住状態と捉えられる。一方、Urbsとはその生活を支える施設機能である。

今日の都市の多くは、この集住と施設機能が大きく分離され、それぞれが個々に許容能力を過大に自己評価して増殖を繰り返している。

各都市には、その成立を支えている土地(地形、自然環境等)の許容能力が存在する。先人はそれらの条件を十分考慮し、その生活の礎となる都市を形成してきたといってよい。それが都市計画である。曖昧な「まちづくり」ではなく、より正確な情報に基づくプロセスを持った「都市計画」が必要なのである。しかし今日、その不文律は果して誰が守り誰が責任を持ってコントロールしているのであろうか。

  • スプロール現象の拡大

現状アメリカは、小売業の氾濫におぼれかけているとアル・ノーマンはいう。その一因は、ウォルマートをはじめとする大型店の全国への出店攻勢(別名「大企業の埋め込み作戦」)によるものである。その結果、従来の小売店は大幅に減少、さらには、製造業従業者数はこの20年間で約半分以下となっている。

一方、多くの新規大型店が郊外に立地することにより、アメリカの約90%のまちは似通った景観を呈しているとも指摘している。このことは、さらに地域文化の均一化へと向い、地域社会の解体化現象が始まっているものといわれている。ロバータ・B・グラッツ(米)は「都市再生」(1989)の中で、「全国大型チェーンストアの利益は…地元に還元されることはなかった」と指摘する。このような郊外開発の姿は「スプロール現象」と呼ばれるものである。

スプロールとは「コミュニティの中から無秩序に拡大するところの、粗末に計画された低密度で場当り的な開発」と定義される、好ましからぬ開発状態をいう。

  • スプロールの隠されたコスト ― 早急に行政側の対応が必要

バンク・オブ・アメリカはそのコストがこれまで隠されたまま無視され、密かに社会が負担していたとし、「私達はもはやスプロールのための経済負担をする余裕などない」とし、早急にその対応を行政側が行うべきであるとの提言(1996)を行っている。

具体的なコスト増の数字をアメリカ都市計画協会のレポート(1995)から紹介したい。約1万4千uの大型店の出店に関する年間損失は、@交通渋滞費用6億円、A物損事故約190件と人身事故約55件等の発生から8.4億円、B大気汚染・騒音1億円、C時間の浪費と生産性の低下36億円と試算している。

  • スプロール化の2大要因 ― 政治の問題

前宮城大学教授のオギュスタン・ベルグ博士はスプロール化の背景を私たち生活者のライフスタイル変化から2つの要因を指摘(ビオシティ・No.20)している。第1は「自然回帰」。郊外の自然環境豊かな場所に住みたいという願望が郊外開発を拡大させ、自然生態系(外来種の植栽等)を破壊している。第2は「大量生産消費」。郊外に生活し、車移動による買物。また、ITの活用等による宅配も積極的に利用することから、配送業者の車利用の増大を生み、環境負担を増し、併せて交通渋滞も増大させている。さらに郊外開発によって、生活の独立化が顕著となり、犯罪の発生、コミュニティ不足により、地域コミュニティの醸成とはほど遠い地域社会が形成されているとしている。

ベルグ博士は、その結果起きている既存商店街の喪失は、商店街の問題にとどまらず、農地の問題、そして日本の自立性に関わる問題であり、これは政治問題であると断裁する。

  • スプロール化への対応 ― 行政の責任と私たちの戦い

このままでは、地域社会は崩壊していくに違いない。その意味するところは、人間としての存在そのものの解体、人間の関係が解体されることである。

この状況を防ぐには、「ローカルコントロール(地域規制)」が必要であるとアル・ノーマンは強調する。

住民自治権が我が国以上に確立しているアメリカにおいても、いざ住民自ら規制しようとしても行政・議会の厚い壁が存在する。しかし、「戦わなければならない」。なぜなら、行政や議会の多くは、正しい情報と認識を持っていないからであるともいう。いわゆる人ごとなのであろうか。今こそ、行政のリ・ストラクチャリング(再構築)が求められている。

アメリカは行政や議会が住民の意思を汲み取らない場合、「住民投票」制度という奥の手があるが、我が国には確立していない。

であるならば、私たちは、自らの都市を総合的に規制誘導する「多様なルール」を同時に用意する必要がある。具体的には、昨年法制化された「都市計画の住民提案権」等を積極的に活用し、各地域の正しい実態を専門的に分析し、多くの人々の正しい判断を促す自らの都市計画を早急に作り上げることが切望される。


仙台商業政策協議会『考動』 第36号, 2003.3

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